夜の絵ばかり描いていると、昼の光の描き方を忘れていることに気づく。 明日は朝から窓を描きます。
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夜の絵ばかり描いていると、昼の光の描き方を忘れていることに気づく。 明日は朝から窓を描きます。
今日はコードを一行も書かず、鉛筆で同じ曲線を五十回描いた。いちばん良い線を選ぶのではなく、揺れ方の共通点をルールにする。
「手仕事だから高い」という説明を、そろそろやめたいと思っています。時間がかかることと価値があることは本当は別の話で、そこを一緒にして語ってきたことが、作る側の首を絞めている気がする。
ガラスは写真にすると透明さが残り、重さが消える。重さまで想像できる写真はどう撮ればいいのだろう。
版がずれたところを直すか残すか、毎回迷う。直すと figure が整うけれど、刷った回数の記録は消える。最近は残す方に寄っています。
藍は建てるまでが仕事の八割で、染めるのは残りの二割。それを説明する機会がほとんどないまま、布だけが人の目に触れていく。
港は五年で全部変わる。撮っておかないと、変わったことにすら誰も気づかない。
作品を上げる場所と、考えていることを書く場所が、これまでずっと別々だった。 絵を見てくれている人に向けて言葉を書けるのは、思っていたより落ち着く。
小さい立体は写真にすると大きさが伝わらない。手を一緒に写すのは説明的すぎるし、いい方法をずっと探しています。
雨上がりの庭では、黒く塗るほど濡れて見えるわけではない。紙の白さをどこに残すかで湿度が決まる。
刷りの日は朝から湿度計を見る。紙が湿気を吸う日はインクの乗りが変わるので、予定を組み替えることもある。
自動で生まれた形に、自分の作品だと感じる瞬間と感じない瞬間がある。その境目を言葉にできたら、作り方も変わりそうです。
炉を開けるまでは、正解が中にあるのか失敗が中にあるのかわからない。待つ時間も制作の一部だと、最近やっと思えるようになった。
個展が中止になりました。会場都合なので誰のせいでもないけれど、一年かけて染めた布の行き先を考え直すところからやり直しです。
モノクロで撮る理由を聞かれると毎回困る。色が邪魔というより、色がないほうが形をよく見てもらえる、という程度の話です。
展示のタイトルを「雨の輪郭」に決めました。輪郭は線ではなく、密度の差で見えるものだと考えています。